読むのも書くのも暇な人

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かわいそうだけど

 カウンセラーさんに伝えた不満の中で「私のことをかわいそうな人だと思わないでほしい」というのが強くあった。

 

 もちろん、相手がわたしのことを憐れんだことは一度もない。「大変な状況でしたね」と労ってくれたり、私がした選択を支持してくれることはあっても「かわいそう」と言ったことはない。

 

 それなのになぜか、相手の言葉尻をとらえては、「今、かわいそうって思いましたよね!」と突っかかりたくて仕方なかった。聞いてはいないけど、きっと子供時代は愛されて育って、難関資格を取れるような勉強に集中できる学生時代を過ごし、常識と専門知識があると思われる相手から、見下されているのではないか、という怒りが湧いて止まらなかった。

 

 話していくうちに、「ああ、わたしはわたしのことをかわいそうな人だと思っているんだ」としみじみ気づいた。厳しく苦しい子供時代を過ごし、勉強に集中できなくて生きていくのに精いっぱいでお酒や食べ物や人間関係や仕事に依存し、常識も専門知識もないまま大人になってしまった。間違った考え方を手放せないせいで問題が山積みで、カウンセリングに頼らないとならない暗くて人生終わっている人だって自分のことを思っているんだ。でも、それを自分で認めたくないから、「カウンセラーがそう思っているはずだ! そうに違いない」って思い込んで相手を攻撃しようとしていたんだ。

 

 そう思うと、「やっと私は自分のことをかわいそうと思えるところまできた。安心と安全を手に入れられたんだ」とわかった。自分のことを「かわいそう」と思えば、すべてが崩壊してしまうから、今までは思えなかった。3年前に別のカウンセリングに行ったとき、「あなたがされたことは虐待です」と言われても、「この程度で?」としか思えず受け入れられなかった。サービスで言ってくれたのかなって思った。ショックなことの後にはよく解離が起きていて、眠れず悪夢ばかり見て、毎日フラッシュバックがあっても、「これは他の人にもよくあることだ」と思い込んできた。

 

 今は、わたしはすごく気の毒な生い立ちだなって自分でも思う。かわいそうなのはかわいそうだけど、大変な中で自分なりに工夫して頑張ってきて偉かったなとも思う。要所要所で助けてくれる人がいて救われたし、自分でいうのもなんだけど性格がいいし明るいので、私の存在で心が楽になった人もいてくれると思う。

 

 この前、カウンセラーさんに対して泣きながら「わたしはカウンセリングの時いつも落ち込んでいるし泣いているから、暗い人って思われているかもしれないけれど、本当はそうでもないから、暗い人って思わないでください」と言ってしまったのだけれど、「あなたのことをそんな風に思ったことはありませんよ、エネルギッシュな人だと思っていますよ」と言ってもらえてものすごく笑えた。

 

 カウンセリングに来てまで「明るい人」だと思われたい私。「他人が自分をなんと思おうとどうでもいい」というポリシーで生きてきたつもりだったのに、本当は誰よりも他人の目を気にしている小さい自分に気づく。ちょっとかわいいとすら思う。

 

 今、わたしは、かわいそうだけれどエネルギッシュで、ちょっとかわいい。