善きものではない
生きていくことと暴力はなぜ切り離せないのだろうとずっと考えている。父母がわたしにとって加害的な存在だったように、わたしも子どもたちにとってはそうなのだろうと思うとやりきれない気持ちになる。
最近読んだ本の中に、印象的な一節があった。
『能力で人を分けなくなる日』(最首悟)P111
いのちっていうのは、決して善きものではない。善きものも含んでいるけど、人間にとってどうしようもない、酷い苦しみとか悪魔的なものも含んでいる。いのちっていうことについて、私たちは全容がわからないんです。
私は、もし星子が殺されたら、絶対にというくらい、その人を殺しますよ。自分の手で。それはやると思っている。星子が殺されたら絶対そいつを殺し、星子がレイプされたら、その男を単純に殺したりしても飽き足らないと思う。それは、責任をとらせるとかなんとかいう問題ではなくて、もっと何か、いのちに対する感覚がある。そういう、いのちの暴力性みたいなものを思うんですよ。
”生きる”ということそのものがすでに暴力性をはらんでいる。悲しいけれどこうやって文章で読むと「仕方のないことなのだな」と感じる。大して善きものではないけれど、今日も生きているなあと思う。
変わらない
7年ぶりに父と電話で話をした。持病が悪化して余命を告げられたとのこと。そのまま、何事もなかったかのように自分の近況を話し出す父を制して「私がなぜあなたと連絡を絶っていたのかわかるか? 私はあなたに怒っているが、そのことは認識しているか?」と聞いてみた。すると、”頑固な娘が父からのちょっとした小言に対して拗ねている”という認識だった。
私は「子どものころからの暴力、暴言、酒に酔って暴れた姿、激しい夫婦喧嘩を見せられ続けたこと。成人してからも言動が不快で加害的なこと。そのすべてが耐えられないので会いたくないと言ってきたつもりだし、今後も会うつもりはない」と伝えた。
父は「70過ぎてお前に嫌われていたなんて知らなかった。なぜもっと早く言わない? しつけとして叩いたことはあっても、暴力をふるったり、酒に酔って暴れたことはない。妻を叩いたこともない」と言い張った。私は、母にも聞いてみてほしいと言った。5年前、母は電話で、「酒を飲んで暴れる父を問題だと思っていたが、世間体と経済的理由から別れられなかった。後悔している」と私に詫びたのだった。
しかし、母は「夫に叩かれたことは一度あったかもしれない。覚えていない」と言った。勢いをつけた父は「昭和のサラリーマンとして、家を買い、大学を出してやった。それ以上何をできるか。何が不満だ」と言った。私は、どんなボロの借家でも、大学に行けなくてもいいから家で暴れないでほしかった。私たちは、見ているものも、欲しいものも違い過ぎた。
「子どもたちは、あなた方が私にひどいことをしてきたことを知っている。私が会いたくないなら会わなくていいと言っている。子どもたちはあなたたちのことを嫌っている」と私は言った。父は泣き、今聞いた内容が受け入れられないと言って電話を切った。父と私の子どもたちが会ったのは彼らがまだ物心がつく前で、存在もほぼ認識していないのに、好かれているとでも思っていたのだろうか。
成人してから、5年に一回くらい、うちの家族のこんなところが私にとってつらい、と思い切って父に伝えては無視されてきた。反応はしてくれなくても記憶には残っているかと思っていたが、甘かった。彼にとって私は、大切に育てられ、家と学歴を与えられたことに満足した子どもで、彼を愛していて感謝をしている。ちょっとした行き違いで疎遠だが、話せばすぐ和解でき、孫たちも彼に会いたがっている。そういう幻想の中で生きてきたのだなとわかった。
彼は変わらないし、私も変わらない。どんなに話し合っても理解できないし、受け入れられない。悲しいというよりは、虚しい。それでも、彼の幻想に合わせることはできないし、彼もまた、私の主張を妄想だと言うだろう。それぞれが思う現実を生きるしかない。さようなら、お父さん。あなたの残りの時間が、少しでもいいものでありますように。
『どうすればよかったか?』
年末にいてもたってもいられず観に行った。
会ったことがない家族のことなのに、中盤くらいまでずっと涙が止まらなかった。あまりにも懐かしくて。家族の中に問題があると、こうなってしまいがちなんだなあとしみじみした。
お金があれば、学歴があれば、権威があれば、家族四人で幸せに暮らせたはず。うっすら思ってきた。それらを家族に与えていない自分は何も価値がないと自分を洗脳してきたけど、違った。違ったと気づいた時が一番ショックだった。朦朧としていた時間が長すぎて。ずっと朦朧としていたかった。監督が、自分の過去の写真を1枚以外すべて捨てた話に胸を衝かれた。自分を否定するのは辛い。自らの成育環境の価値観が人権を侵すもので、自分もそれにどっぷり浸かって生きてきたことを知った時の衝撃。何もなかったことにしたいし、消えたいと思った。恥ずかしくて。
監督のお姉さんが占いに傾倒していて、その気持ちもなんとなく分かった。支配力の強い親元で理不尽なことがたくさん起こると、世界が信用できなくなる。信用できないけど解明するツールが欲しくて、占いの周辺にいるときだけ心が安らいだから。
映画を観ながらずっと考える。どうすればよかったんだろう? わたしは自分のために家族から逃げた。よかったのか? 妹を置いてきてしまった。連れていけなかったけれどよかったのか。逃げてもとどまっても、たくさんのものを失った。戻った方がいいのかな? それはいつなんだろう。監督の心の動きに自分の家族史がぐっと引き寄せられた。
「どうすればよかったか?」と聞かれれば、「どうにもならなかった」というしかない。監督の家族も、わたしの家族も。それでも、お母さんの死後に治療につながって、外に出かけて人と交わって、夏の日の花火を楽しんで、監督に向かってピースしたお姉さんの笑顔に心が救われる。でも、「ささやかな瞬間のために生きる」とはっきり言ってはいけない気がするのはなぜなんだろう。
2025年が始まった。どうにもならない日々をただ生きるしかない。
それはそれ、これはこれ
怖くて子どもたちに聞いたことはないけれど、きっとわたしは、わたしの母とはまた違った意味で圧の強い親なんだろうなと思う。「自由にしてほしい圧」「自分で選んでほしい圧」「選んだ限りは努力してほしい圧」「マイペースに生きてほしい圧」「でも母の嫌なことは選んでくれるな圧」……ちょっと考えただけでこんなにある。これを人に求めるなんて、大変に自分勝手だ。一人圧力団体だ。
自分が親にされて嫌だったことをしない。そこで止められればそれでいい。実はそれで十分だったのに、自分が癒しを求めるあまりに、親にしてほしかったけれど絶対やってもらえなかったことを、子どもたちに押し売りしてしまっていたなあと思う。「それはそれ、これはこれ」ができない。不器用はなはだしい。
そんな暑苦しい母のすることでも、子どもたちは喜んだり嫌がったり無視したりと適切に対応してくれ、味方でいてくれることがありがたい。最近、子どもたちが成長して、優しい大人の人がやるようにわたしを気遣ってくれるのがうれしい。例えば、風邪をひきながら家事をしていたら、「今日は何もないなら寝ててね」って言ってくれたり。子どもがいろいろ教えてくれるってこういうことなのか。自分も子どももダメージを負わずに生きていける方法はないものか、探しているうちに子どもが成人してしまいそうだ。
とにかく、心身を削って「〇〇のため」って働いても、誰一人幸せにならないので、味方たちを大事にしながら、恨みや力みを抜いていけるといいな~。
どうでもいいけれど、ムアツふとんって「圧」が「無」ってことなんだろうか。
やっぱりね
またしばらく間が空いてしまった。
2024年の年明け、書きたい気持ちが復活したと思ったけれど、
2月に入ってスギ花粉にやられ、確定申告でバタバタし、
そうこうしているうちに、4との葛藤が始まり、
新学期に入ると1の学校でのトラブルが続き、自分のことがまったく
できなくなってしまった。
子どもたちとの距離感は、わたしにとって非常に難しい。
わたしは母にいろいろなことを無理強いされたのが辛かったので、
2人に何かを強制しないように気をつけてきた。
また、「やりたい」ということはほとんどやらせたと思う。
習い事の練習や勉強にも付き合って、
「うまくなりたい」「合格点を取りたい」という希望が叶うように努力した。
子どもたちも結果が出れば喜ぶので、これが正解なのかなと思った。
ところがどっこい、母であるわたしがすべてをお膳立てすると、
子どもたちは自分から何かしようとしなくなるのであった。
危機感もなく、努力のやり方もわからないので、欲しい結果が得られないと
泣いて暴れる。暴れるとすっきりして忘れる。
このままだと生活が持たないな、甘やかしすぎたなと苦い気持ちでいっぱいになった。
そこで、4はそろそろ年齢的に子どもとして中堅なので、
「泣いただけでは欲しいものは手に入らない」ということを
わりと厳しめに教えてしまった。
それがよかったのかどうか、いまだに自信が持てない。
本当は、長い目で見守って、失敗したときに本人が気づいて「こうしたい」と言ってきて初めて寄り添う…みたいなのがいいんだろうな~と思っていたけれど。
わたしも待つことができず、4をドシーンと谷底に落とすようにこのプロセスを経てしまった。結果、タイミング的なこともあって4が成長して、わたしとしても楽になったので助かったのだけれど、無理やり大人の階段を登らせたような罪悪感がある。
1に関しては、特性もあり、4よりは年齢以上に幼いので、まだ様子を見ながら手を離していくのがいいのかなと思った。長子には厳しく、二子以降はいい塩梅になるとはこういうことなのか、と思う。なんて難しいのだ、子育ては。
そしてひそかに、母が決してわたしの子どもの頃にやってくれなかったこと、
勉強でわからないことを教えたり、習い事の練習をしたり、送迎やイベントの手伝いをしたり、それをすれば小さい頃の傷ついた自分が癒されるのではないかと期待していたのだけれど、ぜんっぜん、まったくもって癒されなかった。むしろ疲れた。よくその手の本にインナーチャイルドケアで、、、とか書いてあるが、その時に適切なケアがなければダメなんだと思う。うすうす違うんじゃ…と思っていたが、やっぱりね、だった。
とはいえ、子どもたちといろいろなことをやって、じっくり彼らを観察できたので二人の特性とか癖的なことが把握できたのはよかったと思う。我ながらわたしは面倒くさい母親だと思うが、めんどうくさい人間だから仕方ない。
好きになる瞬間
わたしは吉本ばなな作品の読者で、中でも好きなのは短編とエッセイだ。
エッセイは世に出ている(紙・インターネットを含め)ほとんどを
読んでいると思う。
エッセイの中によく、”ワイルドな姉”のハルノ宵子氏が出てくる。
パチンコでハトを撃ち落としたり、
お父さんのお葬式を「ゲロが止まらないから」喪主なのに行かなかったりなど、
強烈なエピソードの持ち主だ。
ばなな読者として、ハルノ宵子作品もいくつか目を通していたのだけど、
当時はピンとこなかった。
けれども、最近、姉妹対談目当てで読んだ『隆明だもの』(晶文社)、
面白くて面白くて、夢中になって読んだ。
ハルノさんから見た、家族のこと、介護のこと、
亡くなった後のこと、猫のこと、友情のこと。型破りで痛快。
特に、「形而上の形身」という回で、吉本隆明ファンであろう見知らぬ人との
言葉のないやりとりに心打たれた。
ばななさんが「父から教わった大事なこと」と書いていることと
一つも違わないことが描かれていて、「おお」と思った。
お姉さんのキャラクターは、ばなな作品の中で重要なモチーフになっていて、
お父さん、お姉さんの考えと行動が思想の核の一つ、
ご本人とお母さんとの関係は葛藤を描く上での源泉なのかなと感じる。
今月出た『猫屋台日乗』(幻冬舎)もすばらしかった。
コロナの日々で感じた怒り、やるせなさ、
このままなかったことになってしまうことがいやだったので
あの時期、自分にとって何が受け入れられなかったのかを確認できた。
ばなな読者としては、お母さんの着道楽エピソードを読んで
ばななさんのおしゃれさに納得できてにんまり。
「2022シンギュラリティ」は、わたしもスマホに対して同じ疑念を持っていたので
やっぱり、同志がいた!とうれしくなる。
まだ読み終わっていないので、大事に残りを楽しもうと思う。
今まで「?」と思っていたものに、
ぱちん、とピントが合って好きになる瞬間は特別だ。
「あれはこうだったのか」「これがこうつながっていたのか」と
雪崩のように答え合わせが押し寄せてきて、
情報の洪水のなかで戯れて恍惚を感じる。
ひとめぼれもいいけれど、
こんな風にして好きになる方法は、年齢を重ねたならではと思う。
エッセイ
学生時代の部活動で周年誌を作るそうで、
「現役時代の思い出」をテーマにエッセイを頼まれて書いた。
あの時期になりふりかまわずエネルギーを放出できる場があり、
そのあと一生会えなくなったとしても、場を共有した「誰か」がいたことが
かけがえのないことだったのだなと感じた。
それは、あの二十歳前後の時期でなければだめなのだ。
なんでなんだろうと呆然としてしまう。
エッセイを提出してみて、なぜだかわからないけれど、
自分のことを書く気力が湧いてきた。
他人の何かをうらやんで自分を変えようとしたり、
ある一つの考えを唯一の解だとすることに限界がきた。
自分の中にあるものと、自分を通してみるものにしか
興味が持てないことに気づいてしまった。
わたしは面白いことが好きで、自分の審美眼には自信がある。
わたしが面白いと思うことを書き始めようと思う。