読むのも書くのも暇な人

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言えないこと

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 母方の祖父は、太平洋戦争の時に満州にいた。スパイのようなことをやっていたらしいと母から聞いた。でも、当時のことを祖父が語ることはなかった。家族や親戚の中でも、絶対に触れてはいけないという暗黙のルールがあった。向こうで習ったという餃子やうどんはたまに作ってくれて、美味しかった。

 

 思い出したくないほどひどいことをされたのだろうと思っていたけれど、自分が成長するにつれて、ひどいことをしたんだ、ということは想像できるようになった。祖父は特に晩年、戦争中に足に受けた銃弾の痕が痛んでうなされていたのだけれど、心的外傷後ストレス障害というものだったのではないかと思う。

 

 そんな経験をして日常生活に戻っても、何もなかったようには過ごせないだろう。これもまた、皆で口をつぐむけれど、祖父は家族のこともいろいろな形で傷つけたようだ。地元では議員をやったり、少年院を出た後の人をサポートしたりと地域に貢献していたから、表と裏の顔が違って、祖母は苦労したと思う。

 

 母は祖父を盲目的に愛していた。カルト教の信者のようだった。男の理想は祖父であり、自分の生きる目標は祖父が戦争で傷ついた体を癒すこと。自分は看護師になり、会社員だった夫(私の父)を無理やり医学部受験させようとしたりした。

 

 子供である私も、もちろん医者になって祖父を救うべき、と育てられたけれど、その一方で勉強を邪魔してくることもあって、すごく不思議だった。結局、私の頭も努力も意欲も足りなくて、医学への道は早々に諦めた。高校で文系コースを選ぶと決めた時、「医者にはならないのね」といった母の目の色が何もなくて、あそこが私の親離れの時期だったのかなと気づいた。

 

 祖父はだいぶ前に亡くなり、90過ぎまで生き延びた祖母も去年この世を去った。母とは今、必要最低限しか会話をしない。お互いのことを理解できることはないと思う。それは戦争のせいなのか、家父長制に縛られた時代のせいなのか、母特有の性格のせいなのかはわからない。でも、誰にも言えない苦しみと罪の意識を抱えた人と暮らさなければいけなかったのは、大変だったな、とだけは思う。