読むのも書くのも暇な人

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蕁麻の家

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 萩原葉子『蕁麻の家 三部作』(1998年、新潮社)を読み終えた。

 

 萩原葉子は教科書にも載っている有名な詩人、萩原朔太郎の娘で、2005年に亡くなった小説家。前にも書いたけれど、私は彼女の『ひとりぼっちの思春期』(1985年、ポプラ社)が小学生時代の心のよりどころで、田村セツコのかわいらしい挿絵とともに何度も図書館で読んだのだった。

 

 この本、表紙はとってもかわいらしいが、内容はむごい。萩原葉子の少女時代を元にしたお話で、母が大学生と浮気して出て行ったので父の実家に引き取られ、祖母や叔母たちに苛め抜かれ、両親に放置されたせいで妹は知的障害となり、頼みの父は無関心。誰も味方がいないなか、本を読んだり、人間関係を観察したり、不器用だけど生きていく主人公に自分を重ねて、「わたしはここまで大変じゃない」と安心したものだった。

 

 20歳くらいの時、インターネットで『ひとりぼっちの思春期』には続きがあると知る。それが、『蕁麻の家 三部作』で、タイトルと同名の第一部は少女時代、二部は結婚してから、三部は離婚してから78歳にいたるまでが書かれている。読もうと思ったものの、二部以降により悲惨なエピソードが複数あることがわかり、断念した。

 

 少女時代にあれだけ辛い思いをして、祖母の家を出たら幸せをつかめるんじゃないか、と思っていたのに、またあの子が苦労するなんて、と思うとやりきれず、また、自分も楽しい毎日ではなかったからわざわざ悲しい話を読む気になれず、それからずっと忘れていた。

 

 10歳の頃の愛読書を思い出した時に、もう使わない忘れ物を取りに行くような気持ちで『蕁麻の家 三部作』を読み始めた。確かに、第二部の『閉ざされた庭』までは、主人公が悪い男につけこまれ、望まない妊娠に死産。元同僚との心の通わない結婚生活にDV、戦争、貧困とこれでもかこれでもかの不幸のオンパレードなのだけれど、いつも目線は冷静で、少しずつ自分というものを受け入れながらたくましく成長する様子がわかる。第三部では、ものすごい介護などの描写があるものの、コメディーのようなおかしみがある。

 

 そして、一番最後についている、「歳月―父・朔太郎への手紙」が圧巻で、要は、「あなたは偉い文学者だったか知らないけど、そのデカい目は節穴で、なにも見えてなかった。わたしは表現をするものとしては、あなたを超えたよ。ごめんなさいね」という勝利宣言を父にしている。痛快。読んでよかったと思った。

 

 作家の小池真理子氏が先日の日経夕刊で「人生の中で変わっていく思想や感受性をいかに作品にするかが作家のあり方」と話していて、ハッとした。ぶれない思想がある方が正しいように、かっこいいように思えるけれど、自分の内面の変化を受け止めてフィクションを構築しつづけていくのが腕の見せ所なんだなと感じた。