読むのも書くのも暇な人

考えていることや読んだものについて書いていきます。

幼さ

 1の幼稚園最後の運動会が終わった。年少の時は競技に一つも参加することができず、耳を塞いでずっとうずくまっていた1。そんな1が、応援団のセリフを大きな声で発し、複雑なダンスに組み体操、最後はリレーをやりきり、別人のように成長した。紅白対抗戦で1の所属する色も勝って、みんなでよかったねと言いあった帰り道。

 

 いっしょに連れてきていた小学生の4が、猛然とぐずり出した。「4は年少から1年生までの4年間、一回も運動会で自分の色のチームが勝ったことがない。どうして? どうして?」

 

 4がこうなると本当にしつこい。「偶然だよ」とか「来年は勝てるかもしれないね」などと言ってもまったく響かない。そうこうしているうちに、「4はかけっこもいつも2番で2番ばっかり。なんでなんで?」と不満をぶちまけてくる。手が上手く振れないのと、足の速い子が持っているあの独特の「負けたくない気持ち」がないからかな、などと正直にいうと泣き叫ぶのでグッと堪える。4は努力はしたくないけどなんでも負けるのは嫌という典型的にめんどくさいタイプだ。

 

 4は幼稚園、学校の行事レベルなら、なんでもソツなくできる。特別運動神経がいいわけではないけれど、先生の指示はスッと理解できるのであまり目立たない。1とは真逆なので、1がみんなに「がんばったね、えらいね」と言われておもしろくなかったのかもしれない。

 

 あまりにブウブウしつこく言うので、運動会の疲れもあって家までの道は無言になってしまった。そういえば、こういうパターン多かったなと思い出す。時間的に無理なイベントに参加したいと騒ぎ、却下して小一時間泣かれた日。クラスで泳げないのは自分くらいしかいないから水泳を休みたいと不機嫌丸出しでごねられた日。自信満々で描いた絵が賞をもらえなくて、他の子はずるいと泣き叫んだ日。計算カードのタイムが納得いかずに地団駄踏んで暴れた日。大体こっちもクタクタな夕方にやられるので、どっしり受け止めることなんかできない。

 

 どうしてこんなにわがままなんだろう。自分勝手なんだろう。本気で腹が立って耐えきれずに大きな声で叱りつけてしまう日もあった。後で必ず自己嫌悪で吐きそうになった。

 

 子どもとは本来幼くて、世界を自分中心にしか考えられないもの。頭ではわかっていても、心では納得できない自分がいた。わたしは子どもの頃、こんなわがままを受け止めてなんかもらえなかった。むしろ、両親が子ども並に幼かったから、大人になってなだめなければいけなかった。やっとの思いで両親から離れても、そういう幼い大人たちに引き寄せられてしまって、大きな赤ちゃんたちをずっとなだめ、甘やかし共依存をし続けてきた。その人たちもなんとか切り捨てて、いざ、本当に大事な我が子を受け止めようと思っても、力が残っていなくてひどい態度を取ってしまう日もある。それが辛い。

 

 最近は、自分の心身が空っぽだと怒りに火がつくのが早いと気づいたので、疲れを感じたら状況が許す限り寝て、お腹が減ったら食べて、見たいものを見てやりたいことをやっている。体重は増えるし、仕事も家事も滞っているが仕方ない。

 

 ここまで書いてみて、4になんて言ってあげればいいのかやっとわかった。「運動会の対抗戦でも勝ちたかったね、4年間一回も勝てなくて残念だったね」って共感が必要だったのかも。子育て本当に難しい。次にむずかったらそう言ってあげよう。