読むのも書くのも暇な人

考えていることや読んだものについて書いていきます。

7年

 4が7歳になった。

 

 毎年、4の誕生日が近づくと不安な気持ちが強くなってなぜか落ち込んでしまう。

わたし自身、落ち込みのプロであり、いつも何かしらの原因で塞いでいるので、たいていの場合は落ち込みの因果関係がはっきりわかるのだが(だからといって元気にはならない)、この時期は気温が上がって体に力が戻ってくる分、疑心暗鬼や被害妄想もパワーアップしてしまうのが辛い。

 

 幸せなはずの自分の子の誕生日に、なんでこんな気分になるんだろうか。もう、何回も書いているので落語のようで笑っちゃうけれど、幼少期の自分の誕生日に楽しい思い出がないせいだと思う。子どもと比べて、自分がかわいそうになっちゃうんだと思う。

 

 ある年のわたしの誕生日、パーティーで母が出した食べ物が原因で妹がアレルギー発作を起こして、救急車で運ばれたことがあったらしい。わたしは覚えていないのだけれど、母がしつこくしつこく繰り返すので誕生日と聞くと反射的に救急車が浮かんでしまう。そして、ほとんど赤ちゃんみたいな妹が、わたしの好物のせいで呼吸が止まって死にかけたという事実に胸が苦しくなる。

 

 母は子どもの安全を守ってパーティーを行うべきだったし、妹が食べられないものをしっかり見張るべきだった。ただ、どんなに気をつけていても事故は起こるものだし(母の場合は明らかに彼女の怠慢だけど)、起った後はわたしをフォローして欲しかった。間違っても長年にわたってネチネチとほじくり返し、「お前の好きなものを作ったから妹が死にかけた」と責めないで欲しかった。

 

 ここまで書いてみて、ふと気づいた。本当は、母は自分を責めていたのではないか。子どもたちを喜ばせたくて頑張ってみたけど、注意力散漫すぎて事故が起こってしまった。明らかに自分の責任だけれど、それを直視する力を持っていないから、わたしを責めることで発散していたのではないか。自分と娘のわたしの境界線を持っていなかった人なので、わたしを責めたことで自分に罰を与えた気になっていたのではないか。救急車の話題を出すたびに、わたしの胸が痛んだことを、母はわかっていたのだろうか。子どもだからまともに聞いてないように見えて、手応えを感じようと、よりくどくどと言い募ったのだろう。

 

 7年前に4が来てくれて、わたしは命がけで境界の大切さを思い知らされた。それはとても厳しい教えであり、同時に自分を守るすべでもあって、まだまだ完全に理解したとは言い難い。でも、教えてもらわなければどうなっていたかわからない。喜びも苦味もふんだんに与えてくれて、ありがたいと思う。今日も明日もいつもと同じように、大好き大好きと言い続けるしかない。