読むのも書くのも暇な人

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ピアノ

 4がやっとピアノを辞めることを決意してくれた。2年半、大変だった。自分に両手でビールかけしてお祝いしたい。寂しいけれどスッキリした。

 

 わたしは母に物心つく前からピアノを習わされていた。「お前がどうしてもやりたいとせがんだ」と母は言っていたが、嘘だと思う。ピアノを弾くのは好きでも楽しくもなかったので、当然上達もせず、レッスン帰りは「今日も合格しなかった」「練習しないから先生が怒っていた」と母に詰られるのが恒例だった。

 

 母は自分の父(わたしの祖父)から買ってもらったアップライトのピアノに、異常に執着していた。「おじいちゃんがお金を出してくれて、最初のピアノの先生がわざわざ倉庫に行って試し弾きして、一番いい音がするのを選んでくれた」と熱に浮かされたようによく語っていた。ピアノを大事にするあまり、わたしが弾くのを嫌がった。

 

 家に遊びに来た友達にピアノを触らせてはいけない(汚いから)、ちょっとでも傷つけると烈火のごとく怒る。近所迷惑だから夕方以降は弾いてはいけない、などと言われてますます弾かなくなるが、それで「まったくピアノが上達しない、コンクールに出る子のようにならない」と言ってはまた怒られた。辞めたいと言うことすら許される雰囲気ではなく、確か中3の時、発表会にほとんど練習しないまま出た。小学生が弾くような簡単な曲を、つっかえつっかえ弾いた。母に大恥をかかせ、やっと辞めさせてもらえた。

 

 そこから長い間、ピアノの悪夢に悩まされた。発表会の舞台上で頭が真っ白になって何も弾けずに時間だけがすぎる夢。先生が待っているのにレッスンになかなか辿りつけない夢。レッスンを何回も忘れる夢。次こそは練習しますと嘘をつく夢。楽譜を渡されて弾けるふりをしてしまい、どうしようと焦る夢。子ども時代、ピアノを辞めたいと言って辞められた人や、お母さんが練習につきあってくれたという人の話が、すごく羨ましかった。

 

 4がまだ0歳だった時、母が血走った目で「4には絶対にピアノをやらせないといけない。おじいちゃんのピアノを弾かせなければならない」と迫ってくるので、冗談じゃないと思った。ふと、母に「なんで絶対ピアノを習わないといけないの?」と聞いてみた。子供の頃、聞けなかったことだ。

 

 母は「何を言っているの?」と不思議そうに目を見開いた。「お母さんが子どもの頃ね、オルガンを習っていたの。おじいちゃんがオルガンを買ってくれて、おばさんがデパートで赤いレッスンバッグを買ってくれたの。お母さんはレッスンに行くフリをしてサボって遊びに行っていたから、それがバレて辞めさせられちゃったの。でも、おじいちゃんはまたピアノを買ってくれたから、4はピアノをやらないといけないの」

 

 その時初めて、母が、自分の過去の失敗を埋め合わせるためにわたしにピアノをやらせていたことがわかった。わたしや4にピアノをやらせて、自分の父親を喜ばせたかったと。その思考回路にびっくりした。そんなことのために、10年以上やりたくもないことをやらされて責められ続けていたとは。しかも、祖父はだいぶ前に死んでいる。

 

 他にも色々あって母とは絶縁したので、母が4に祖父のピアノを無理やり弾かせることは避けられた。このまま、ピアノに縁のない人生を送りたいと願っていたのに、4が4歳の時、ピアノを習いたいと言い出した。本当に本当に嫌だった。

 

 それでも、せっかく習うのなら母と逆のことをしようと思った。弾きたい時に弾きたいだけ弾かせよう。練習を見てあげよう。リビングに4が欲しがった小さなピンクのピアノを買った。ベタベタの汚れた手で弾かせた。覚えかけのアニメのテーマソングも存分に弾かせた。音がめちゃくちゃで聞いていてイライラしたけど耐えた。練習しなくても怒らなかった。

 

 すると、飽きるとまったく弾かなくなった。練習を促しても逆ギレされる。他に好きなことができて明らかに興味を失っている。それでも、レッスンは楽しいから、発表会でドレスが着たいから辞めたくないという。最後の一年は、練習しようと言うたびに大げんかになった。「わたしの促し方が悪いから、褒め方が足りないから練習嫌いになってしまったのかな」とクヨクヨ落ち込んでは、練習に誘って嫌がられて怒って、と最悪のループにはまってしまった。それでも、4がピアノを好きになってくれさえすれば、辛かったわたしの気持ちが浮かばれる。そう思ってしまった。母と同じく、4に埋め合わせをさせようとしてしまった。これはまずいと思った。

 

 4と何回も話し合って、やっと辞める合意が取れ、ピアノの先生にメールをした。「4は、本を読んだりお絵描きをしたり、一人自由にマイペースに遊ぶ方が好きで、コツコツ練習したり、譜面通りに演奏することはそんなに楽しくないみたいなんです」と書いた時、ああ、これを本当は子供の頃に母にやって欲しかったなと思った。わたしが何を好きかを理解して、ピアノを押し付けるのは自分のエゴだと理解して、無理やり習わせたのだから辞めることも母の責任で対応して欲しかった。そう思うと、ちょっとだけ気持ちが落ち着いた。ピアノのない日々は爽快で、4との関係に平和が戻ってきた。

 

 自分の子ども時代とは別物なのだから、切り離して考えないといけない。でも結局母との関係を投影してしまっていて、難しいなと思う。毎日修行のようだ。