読むのも書くのも暇な人

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怒り

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 家族に対して、自分でもどうかと思うほど怒ってしまうことがある。ちょっとしたことで頭にカーッと血が昇って、そこまで言わなくてもいいのにと自分でも思うほど相手を責めて、決まって自己嫌悪になる。

 

 そういう時の自分は、母がのりうつっているなと思う。相手を罵る口調も何もかも母そっくりでうんざりする。ふだんは、母と対極の「母」でいようと心がけているけれど、時間がない時、疲れていたり体調が悪かったりする時、他に悩み事がある時、あっけなく母の憑依を許してしまう。

 

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 この本によれば、キレたくないのにキレてしまうのは、子どもの頃に辛かった体験(親に怒られたことや置いてけぼりにされたこと)を繰り返さないための防御反応らしい。傷ついた経験のある人は、夫や子どもの態度を、自分が傷ついた経験にそのまま結びつけてしまいがちだ。そうすると幼いままの自分の心を守らないといけない!というアラームが鳴るらしく、自分を昔傷つけた父や母の態度や言葉を無意識に自分で再生することで「昔と同じことが起こらないように、攻撃してやる」というようなその場に見合わない怒りが湧いてくるというメカニズムなんだそうだ。

 

 だから、その父や母の残像を再生している自分に対して「あなたはもう大人だし、お母さんお父さんも目の前にはいないから、そんなに私を守ってくれなくても大丈夫だよ」と肩の荷を下ろしてやるのがいいらしい(このワークについては本書で詳しく解説されているので興味がある方は読んでみてください)。

 

 大事な人やたまたま近くにいた人にキレまくる人生より、本当に怒るべきところで怒る人生の方が絶対にいい。心からの怒りを表明しなければならない機会は、せいぜい年に一回だろう。怒りの記憶に振り回されまくっていた私は、まだ間に合うだろうか。自分のことも相手のことも積極的に傷つけることを、もうやめたい。

 

 田房永子さんの漫画は、アメリカのドラマに出てくる依存症自助グループのスポンサーみたいだ。やめていたお酒や薬に手を出したくてしょうがない時、やむにやまれずしてしまった時、ドラマの中の人はスポンサーに電話をかける。私は、自分の中の真っ黒い塊に飲み込まれてしまった時、背中に手をかけられたとき、田房さんの漫画を開く。