読むのも書くのも暇な人

考えていることや読んだものについて書いていきます。

女の読書

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 ずっと借りている、フェミニズムの分厚い本を読んでいる。もっとも心に残ったのは、”18〜19世紀のドイツで女性作家がどんなふうに生まれたか”が書かれた章だ。女の読書がいかに監視され、危険視され、女の書くものが侮蔑や嘲笑の対象になり、それでも女は読むものを求め、それに応える女が書いてきたという歴史が淡々と描かれていて興味深かった。以下、印象的な流れをまとめる。

 

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 1770年から100年くらいの間に、ヨーロッパの主要国では女子の初、中等教育が実現して識字率が上昇した。読み書きができるようになる、というのは意外に早いペースで進むようだ。だが、自分で本を選んで読んだり書いたりすること、さらに物を書くということには大きなハードルがあったという。

 それはもちろん、難易度もあるのだけれど、女性たちが小説や詩を読んで日常から逃避することを、男たちが嫌がったのも原因だ。男たちは、気の利いた詩のフレーズを集める妻は自慢に思っても、読書によって知識を豊かにしようとしたり、自分を取り巻く現実と読書の内容をつき合わせてみるような妻には眉を顰めたから。

 それでも、早く決められた結婚で孤独に閉じ込められた当時の女性たちにとって、本を読むことは癒やし薬となった。はじめは個人的な興味で数冊所有していた本、それが読むほどに足りなくなり、図書館に通うようになったり、友人同士で貸し借りをするようになる。さらに、その内容を書簡でやり取りするようになって、小さな茶話会に参加したり、男性もいるような読書協会に入る女性もいた。書物の流通を通じて女性は社会に自ら組み込まれるようになる。

 メッテルニヒによる王政復古によって、読書もまた監視下に入るが、そこから女の読書は「現実逃避の読書」と「考える読書」に分裂する。「現実逃避の読書」を求める一部の女には幻想と逃避の文学を生産する女性作家が喜んで受け入れられた。反面、時代の不安と問いかけに呼応して文学を正真正銘の「女たちの声」にしようとした「考える読書」のニーズに応えた女性作家は、排斥され嘲笑を浴びた。

 ドイツで初めて婦人参政権を主張したフェミニストであるヘートヴィヒ・ドームはこの「考える読書」のための本を書いた女性として、ハリエット・ビーチャー・ストウ(『アンクル・トムの小屋』)やジョルジュ・サンドジョージ・エリオットの名をあげ、芸術・学問・政治の分野で重要なことを実現する能力が女性にも備わっていることを力強く主張した。

参考:第6章 ドイツにおける読むことと書くこと マリー=クレール・ホック=ドゥマルル

内山瑠美子訳

 

 単なる紙の重なりである、物体でしかない本が、個人の心を慰め、他の本を呼び、人と人とを繋げ、社会から阻害されていた女性を社会に組み込んだり、「女性作家」を生み出したり、、、と生き物のように、いや、ウィルスのように蠢いていて興奮する。

 

 写真は百日紅さるすべり)の花。花言葉は雄弁。