読むのも書くのも暇な人

考えていることや読んだものについて書いていきます。

お会いしたことはないけれど、田嶋陽子先生の声が好きだ。

さっぱりしているけれど温かくて、どこかいつもおもしろがっているような調子。英文学・女性学研究者だけれど、シャンソンも歌う人だからか。

お召し物の色も、いつもきっぱりしていてすてきだ。

 

その田嶋先生が、6月1日の日経の「それでも親子」欄で、抑圧してくる母と46歳で和解した経験を振り返って、「母にNOが言えるようになると、世間にもNOが言えるようになった」と語っている。

 

そして「私はフェミニズムに出会ったのではない。自分を取り戻したことが私のフェミニズムなんだよ」と続けるのだけれど、頭の中で、先生の声で何度も再生してはじんときてしまう。

 

声といえば、私の大好きなNetflixのドラマ『デリー・ガールズ』のことを紹介したい。1990年代の北アイルランドの都市デリーを舞台に、カトリックの女子校に通う4人の女子+1人のイギリス人男子(男子校でのいじめを心配した母親に無理やり女子校に入れられた)の仲良し5人組がドタバタするコメディだ。

 

この2シーズン目ラストの回で、イギリス人男子が「デリーには自分の居場所がない」と国へ帰ろうとする。そこで、仲良し5人組のうちの一人の女子(男子の従兄弟)が彼に「あんたはデリー女子よ」「デリー女子は気持ちの問題なんだから」「もう仲間なの」と言って引き留めるシーンがある。

 

「デリー女子」は「フェミニスト」に置き換えが可能なんじゃないかなと思う。自分の人生を生きられてないと思う人が、自分の人生を取り戻す行為。それが私が思うフェミニズムだから。

 

『デリー・ガールズ』の衣装の色彩は、田嶋先生のお洋服の色彩と似ていて、そこも共通点。