読むのも書くのも暇な人

考えていることや読んだものについて書いていきます。

年賀状

f:id:moderusangakoronda:20211231104657j:plain

 メッセージカードは好きだけれど、年賀状は苦手。年賀状を書くとなると、母の不機嫌や両親の喧嘩がまた思い起こされる。ある年は、父が自らの実家へ一番に書き始めたと言って、母が怒り狂って拗ねた。「この私の実家から真っ先に書いて然るべきなのに」と。それ以外にも、毎年何かしら年賀状が原因で家庭内が荒れるので、書いてもまったく楽しい気分になれない。

 

 憲法で保障されている通信の秘密を侵している母は論外だけれど、なんでそんなに怒ったのか最近思い当たることがあった。母は自分の実家に金銭的に援助されていたのではないかなと思う。父にはだいぶ借金があったみたいで、母はほとんどお金をもらえなかったと言っていたので。

 

 穴がたくさん空いたザルみたいな母なので、「自分の実家が援助してくれている!」と具体的に威張りそうなものだけれど、それは口に出さなかったのは父への愛なのか気遣いなのか。自分の両親というおそらく特殊な例しか身近になかったので、愛とは執着とか支配に思えてしかたない。関係性とか概念への固執

 

 自分の年賀状はほとんど書かなくなっても、こども同士の付き合いがあるので出したいと言ってくれた人たちに1の分をボチボチ代筆する。4はもう宛名も書けるようになった。4や1にとっては、お正月や年賀状が温かい思い出になりますように。いや、自分こそ、楽しい思い出に塗り重ねることができますように。

 

断念と整理

f:id:moderusangakoronda:20211230214009j:plain

 今月は小説の投稿を断念する。先月もらった添削を元に読むべき本を読んで下敷きとなる枠組みからお話を作るということをやってみたかったのだけれど、時間も体力も気力もついてこなかった。

 

 毎日疲れているのはどうしてなんだろうと振り返った時に、やはり毎日子どもの療育やら習い事やらが詰め込まれていて、送迎と見学とで時間は食うし、そこに仕事と家事育児その他で時間は細切れ。細切れ時間を活用しようにもその計画を立てるまとまった時間がないんだなとやっとわかる。持病で夜はうまく眠れないから、そもそも日中ぼんやりしてるし。

 

 そうしたら「こんなんじゃいけない」とまっとうな怒りが湧いてきて、新年度の四月からは絶対に自分でまとまった時間を取れる家族全体のウィークリースケジュールを立てる。子どもの習い事と療育はなるべく日をまとめて、5と分担。5の在宅勤務の日をずらしてもらう仮押さえもした。今年はとにかく空いている療育、受け入れてくれる習い事、と確保するのに必死で、自分の都合はまったく後回しだった。だんだん優先順位がつかめてきたので、来年度は手を抜けるところは抜く。休む日は休んで、仕事する日はして、子どものために過ごす日は集中して、自分の体をケアする日は譲らない。

 

 ついでに、人間関係の見直しもしてみた。断酒をきっかけに、長い間つきあいに義務感や苦しさを感じていたコミュニティと距離を置くことにした。喪失感よりも爽快さが勝ってしまったことに驚いた。どうしてなんだろうと思って、今自分にとって必要で心地よさを感じる人間関係を書き出してみたら、意外とバリエーションがあり豊かで、ああ今幸せなんだなと思った。遠ざかってしまった関係性は、昔は支えになってくれたけれど、今はそうではない。生きていればいろいろ変わる。変化が苦手な自分にとっては耐え難いことだけれど。

 

 今度こそ自分の気持ちに正直に生きたい。やりたいことを諦めたくない。

いやいやモード

f:id:moderusangakoronda:20211229100647j:plain

 疲れと寒さですべてがいやになっている。要求ばかりの4と1。約束を姑息な手段ですり抜けてくる5。子どもたちの一時預かり施設の意地悪な担当者。療育の待合スペースが極寒。おまけに右手人差し指を挟んで負傷。イライラしてお菓子を食べまくる。明らかに太ってよくない。

 

 子どもも送り出したし、天気もいいし、好きな人にラインして、ブログ書いて、お気に入りの音楽でも聴こうっと。

 

 cup of tea は「好きな活動」とか「得意分野」という意味もあるんだね。ルポールのドラアグレースでもよく出てくる表現。

少しずつ

f:id:moderusangakoronda:20211228085641j:plain

 5に控えて欲しいことがあったので、カウンセリングや通信で習った方法を使って伝えてみた。「こういう風に困っているから、それは止めてもらえると嬉しいな」。落ち着いて、相手を非難するのではなく、自分の感情を伝える。すると、いつもならケンカになるようなことだったのに「わかったごめん」と聞いてもらえた。

 

 もう少し話してみると、5も良かれと思ってずっとやっていたことだったらしい。過去の私は「それくらいやってよ!」と怒っていたらしいが(覚えてない! 申し訳ない)、今の私はやってもらわなくても大丈夫なくらい成長したんだなとうれしくなった。

 

 そして、幼い頃から母にも父にも気持ちや考えを聞いてもらえなかったことを思い出した。勝手になんでも決められて、怒られるから従うけれど、我慢の限界に達して泣いたり怒ったりしてしまう。それをからかわれるのも苦痛だった。また、両親はコミュニケーション=怒鳴りあいだったので、「怒りを表出しないと相手に意見を聞いてもらえない」と思い込んでいた。

 

 普通のトーンで話しても聞いてもらえる。それって本当に大事なことなんだな。今まで突然怒鳴ったり、理詰めで追い詰めたり、こっちから出せるいい条件がないと受け入れてもらえないと思い込んでいたり。。。相手にも自分にも悪いことしたなと思う。少しずつ、積み上げていきたい。

9㎞

f:id:moderusangakoronda:20211226191858j:plain

 今年最後のパーソナルトレーニングだった。終わった後、時間があったので家まで歩いて帰ってみた。9㎞を2時間くらい。気温は低かったが、日は出ていたので歩きやすかった。

 

 歩きながら、たくさんのことを思い出した。厳しい家庭環境で育って、誰も助けてくれなかったと思い込んでいたけれど、そうではなかった。父の仕事は転勤族だったので支店ごとの結束が固く、人とうまくやれない母はそれがストレスだったようだ。それでも優しい人もたくさんいて、わたしをかわいがってくれて、ひどい態度をとる母を諌めてくれた人たちもいたことが蘇ってきた。

 

 父のことを恨むあまり、彼の親族はもちろん、出身地や職場のことも罵っていた母。当然家庭の中でもそのあたりを褒めたり、懐かしんだりすることはタブーだった。だから、いい思い出までも自分の中で封印していたんだな。

 

 衝動的すぎて行動もおしゃべりも抑制が効かず、全てがダダ漏れだった母。とにかくとっちらかっていた。そんなだとストレスもたまらないように思うけれど、職場がお役所なのにマルチを広めようとするような人なので、だいぶ人から怒られ、疎まれたと思う。いつも円形脱毛症で悩んでいた。今、1の療育に通っているけれど、彼女こそ手厚いケアを受けるべき人だったと思う。

 

 脱毛している箇所が見つかる度、母に頼まれて私が「はあ〜」と息を吹きかけ、グリグリグリっと指圧する。いつからか始まった謎の儀式だ。何個もあってかわいそうだったけれど、いつもキーキーして絶対近寄らせてくれない母が触らせてくれるので内心嬉しかった。せつない母娘だな。今はコロナだから、人とあまり付き合わなくていいから、ハゲてないといいな。

 

 たくさん歩いたからたくさん眠れそう。写真は2年くらい前に4が描いた絵。ポップでかわいいので気に入っている。