トーマの心臓
萩尾望都『トーマの心臓』(小学館文庫)を読んだ。BLの悲しい話と思い込んでいたけれど、愛と生と死についての話で、希望に満ちたラストだった。そして、これは絶対にドイツでなければ地理的にも歴史的にも成り立たなかった話だなと思った。
主人公がたくさんいる不思議な感じなのだけれど、わたしはユリスモールに自分を重ねてしまった。出生について身内に否定されていて、髪の毛の色にコンプレックスがある。その弱い部分につけ込まれて、辛い事件が起こる。
わたしにも、ユーリのように脅されて本心に反することを言わされそうになったことがあった。結果的に口にはしなかったけれど、そういうことをする人に吸い寄せられ、好感を持ってもらおうとした自分をひどく恥じた。それを引きずっている自分が嫌だったけれど、あれはやっぱり許しがたいことだったのだとわかる。
大人になってから萩尾望都を読めて本当に良かった。
ひるね
毎日あまりにも眠いのでひるねしている。寝れば寝るほど、遠くに投げ出されてもぐっと何かをつかんで戻ってこれる感覚がある。これが回復の過程なんだろうか。前より生きやすい、息のしやすい自分になるための試行錯誤中。
休憩
気温が上がるまで、しばし小説の投稿は休むことにする。休み休みいく。
理由
カウンセリングに行って、ずっと心に抱えていたことを聴いてもらう。原家族では両親にいろいろ問題があったので、直接彼らが加害せずとも、結果的に妹が怪我をしたり、病気がひどくなったりすることが多かった。いつも「妹が死んだらどうしよう、守らなきゃ」と思っていたことに話していて気づく。妹だけでなく、父も母もしょっちゅう怪我や病気をしていて、辛いこと、背負わないといけないことも多くて、この世は地獄だな、ノストラダムスの大予言が待ち遠しいなと思っていた。
だから、4と1が小さかった時はあんなにも不安でおかしくなりそうだったんだなと思う。子育てしていると、どうしても自分の子ども時代を思い出してしまうから。そのわたしの不安が、今の家庭での大きな緊張の種だったのかな。でも、そうしなければ自分を保てなかった。
カウンセラーさんに「今、子どもの頃の自分にどんな言葉をかけてあげたいですか?」と聞かれて、「何もかけられる言葉はない」と答えた。誰も助けてくれなくて、自分一人でがんばるしかなくて、その場しのぎの言葉を中途半端にかけるくらいなら近づいてはいけないと思った。ただ、息を潜めて見守って、早く大人になって逃げ出せますようにと祈りを送るしかない。
自分の子ども時代が苦痛に満ちた二度と戻りたくないものだと認識できて、人に伝えることができてよかった。
偶然
1の療育終わり、帰ろうとしていたらバッタリ、仕事の先輩と会う。びっくり。もう15年の付き合いである。またいっしょに働きたいな。
もうすぐ誕生日
友だちがちょっと早くお祝いしてくれた。シャネルのリップクリームをプレゼントしてくれる。うれしい。うちの家具の配置について、目からウロコのアイディアをもらう。なんでも一人で考えないで、信頼できる人(ここポイント)に相談するのがいいな。
最近眠くて眠くてしかたない。気持ちの整理をしてるから、疲れてるんだな。でも焦らずじっくりいきたい。