読むのも書くのも暇な人

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居酒屋

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 仕事の早く終わった男が、なじみの居酒屋をのぞいた。先客は見知らぬ女が一人だけだった。カウンターを挟んで店主と親しげに話している。

「こちらのお客さん、占い師なんだってよ。お前の悩み、聞いてもらえばいい」

 店主がにやつきながら男に話しかけてきた。

男は女の隣に腰を下ろして尋ねた。

「占いって、手相ですか? それともタロットとか?」

「いえ、わたしは歯で観ます」

「は?」

 あんぐり開いた男の口を女が覗きこむ。

「自分から離れていったものに、強いこだわりを持っていますね。しがみついてもなにも生まれないので、手放した方がいいと思いますよ」

 きっぱりとした女の物言いに腹が立ち、男は言い返した。

「初対面のあんたに、なにがわかるんだ。失礼だよ。悪いけど、帰ります」

 居酒屋の扉を乱暴に閉めて、男は歩いた。歩いて歩いて、十分もたった頃だろうか。

薄暗い路地に入り、外灯の下に立った。

 左右を見回して、誰もいないことを確認してから、ワイシャツの左胸ポケットに手を入れた。そっと開いた掌の上には、親不知が象牙色に輝いている。

 親不知は2ヶ月ほど前に抜いた。

 歯茎の中に埋まっていて、じくじくと痛むので抜歯をすすめられた。医者が難儀して抜いたそれは、一般的なサイズよりもはるかに大きい。根元が二股に別れており、組んだ女の足のような艶かしい形をしている。規格外でニュースになる大根のようだった。

    医者と歯科衛生士が「こんなの見たことない」と驚いたのも快感だった。

    個性がないと言われつづけてきた男が、やっと手に入れたもののように思えた。

 男はそっと親不知の表面を指先で撫でた。ざらざらした感触を気のすむまで味わった後、また次の居酒屋を探さなければ、と決意にも似た気持ちを抱いた。