鏑木清方が1920年に発表した「妖魚」という絵がある。昭和のキャバレー王福富太郎が所蔵していた作品で、頻繁に公開されるものではないという。
年明けに雑誌で知ってからはいてもたってもいられず、東京都国立近代美術館の「妖しい絵展」と東京ステーションギャラリーの「コレクター福富太郎の眼」とで、2回足を運んでしまった。
「妖魚」は1.7×3.7mとまず大きい。緑色の牡蠣みたいな岩場に人魚がうつ伏せ状態でこちらを見ているのだが、今にもぬるんと飛び出てきそう。怖いなあ、でもよく見たいなあと引き寄せられて、いつのまにか絵の中に引きずり込まれる。
モワッとした磯の匂いと湿気がすごい。こっちを見ているようでいて、遠くを見ているような目が落ち着かない。どこに移動しても、目線が合わなくてイライラする。手の中で小魚を弄んでいるのにもゾッとする。
べしゃん、べしゃん、と尾びれを動かすたびに私の顔に海水がかかるのも腹立たしい。文句を言おうとしても、相手は上の空。それどころか、せせら笑っているようにも見える。一人で何してるの? 結局何が言いたいの? バカじゃないの?
カッとなって、懲らしめてやりたいと思う。人魚の肉は不老不死の薬だから、高く売れるだろう。鉄の塊で殴って絶命させて、肉を切り裂くか。いやいやだめだ。そんなことしたって、この裏から金箔を貼った絹地がズタズタになるだけ。落ち着いて、くるりと絵に背を向けて、海辺から抜け出せばいい。
「妖魚」は一枚の平板な絵ではなく、六曲一隻(せき)という、パタパタと6枚に折りたたむことのできる屏風に描かれている。こんなに魔力があるんだから、普段はしっかり閉じ込めておかないと大変。
ステーションギャラリーの展示も本日まで。会いに行きたいならぜひ。