読むのも書くのも暇な人

考えていることや読んだものについて書いていきます。

キムチとピクルス

猛暑日が続いている。キムチとピクルスがないと情緒不安定になる。

わたしのお気に入りのキムチはこちらのもの。

minsan.jp

スーパーで売っているのはどろっとしたのが多くて嫌だ。

みんさんのはサラッとしていて、甘さ控えめで、すぐ食べたら浅漬け風。しばらく置いて酸っぱくなったのもおいしい。

 

時間があるときは、隣町の韓国市場までキムチを買いに行く。

お店によってまったく味が違うのでおもしろい。

 

ピクルスは、必ずこれを使って作る。

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酸っぱすぎず、甘すぎずよい。すぐなくなってしまうのが難点だけど、こんな素晴らしい商品も出ている。残り全部買い占めたい。

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最近の流行りは、サラダ玉ねぎを薄く切って、ピクル酢に1日ほどつけたもの。そのまま食べてもいいし、しらすをかけたり、オリーブオイルやごま油をかけたり、刻んだ茗荷とか紫蘇とか、プチトマトとかと合わせたり、いろいろなものに合うのが素晴らしい。紫玉ねぎでも可。

新玉ねぎでは甘すぎるし、ひねの玉ねぎだと辛すぎるし、サラダ玉ねぎがちょうど良い。サラダ玉ねぎに日々助けられている。

 

使い終わったマリネ液は、もったいないのでまた違うものをつけたり(茗荷とか)、にんじんのサラダにかけたり、お肉やお魚をつけたりしてしぶとく使い切る。

 

皆さんの夏の必需食品はありますか?

コメント欄開けておきます。

カズオ・イシグロ

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日本語訳されているカズオ・イシグロ作品は、全部で9冊。その最後を読み終えた。

カズオ・イシグロ作品の中の人たちは、どういう訳かいつも自分のポリシーに反する世界に存在して、葛藤しまくっている。だから読むと安心する。

 

久しぶりに仕事をして、納期に間に合ってホッとしている。

カウンセリングは「もういいかな」と思えたのでいったん卒業した。

暑いし積極的にだらけようと思う。

ブログタイトルを変更しました

前の『もでるさんがころんだ』から『読むのも書くのも暇な人』に変更しました。

書く内容は変わらないけど、見栄を張らないで書きます。

2022年4月までは、「イメージしているありたい自分」を設定して書いているところがあり、落ち着かなくなって更新頻度が落ちてしまったように思います。

この場所くらいは、飾りたくないし自分の気持ちもごまかしたくないので、自分の大事にしていることをタイトルで表してみました。「暇な人」というのは、私にとっては「心が自由な人」と同じ意味です。

 

ついでに報告すると、5月くらいからまたお酒を飲むようになりました。

半年間飲まないでいたらものすごく弱くなってしまって、ビール1杯でほろ酔いになるのでちょうどいいです。毎日は飲みたいと思わなくて、いいことがあった日とか、好きな誰かと一緒で気持ちに一区切りつけたいときだけです。1〜2杯飲んで、ちょっとしみじみとして終わり。それくらいが自分にちょうどいいお酒の付き合い方なんだとわかりました。他の誰がどんな風に飲もうと、私はそれ。飲み方を強制してくるような人とはお酒を一緒に飲まなければいいのです。もっと早く気づきたかった。

 

他人の問題を自分の問題だと思い込んで抱え込む癖はまだ治らないけど、少しずつ手放していきたいです。

6月も終わりそう

だいぶ間が空いてしまった。
6月ももうすぐ終わりそう。

この3ヶ月、4の入学で生活スケジュールが変わって
対応するのにやっとだった。
4が習い事を一つやめ、二つ新しいのをはじめ。
1が習い事を一つやめ、一つ新しいのをはじめ。
4の誕生日祝いに出かけたり、二人の七五三の写真を撮ったり。

その間にも親子遠足やら授業参観やら歯医者やら耳垢取りやら
メガネ作成やら指定品の購入やら矢継ぎ早に「すべきこと」が差し込まれ。
そして今まで、あまり家で4と1に片づけや準備など教えてこなかったので
本人たちは当然やらないから慌てて習慣化しようとしてうまくいかずに泣いた。私が。

こんなに「やるべきこと」で日常がパンパンなのに、
4がまたいろんなパンフレットをもらってきて
「これやりたい」といって、「無理だよ」と説明して号泣されて
納得するまで待たないといけないとか。

両親フルタイムで働く人たちはどうしてるんだろうか。
祖父母が助けてくれてるんだろうか。

とにかく社会や企業の皆さんは、良かれと思って子どもを煽らないでほしい。
一見子供のためになりそうな、とっても楽しそうなイベント。
社会的にも意義がありそうなやつ。
それ、母親の時間をたっぷりたっぷり吸い取った上でしか成り立ってませんから。
企画を考えるときは、誰が影で犠牲になっているか、よ〜く考えてほしいよ。本当に。
この、果てしない時間と労力と関心の奪い合いスパイラルから
抜けられる日は来るんだろうか。

まだまだ

 まだまだ問題はたくさん転がっているけれど、元気が出てきた。たくさん本を読みたいし、美味しいものが食べたいし、いろいろ書きたい。

 

 韓国アイドルにハマってから、韓国のホラー映画やドラマにも夢中になり、そうすると言葉にも興味が出てきて、ハングルを習いたくなった。取り急ぎ、こちらを引っ張り出して母音を覚え中。

 

publications.asahi.com

 

 簡単な単語やフレーズが意味や発音とともに載っているので、語学の本を読むよりも頭に入ってきやすい気がする。何度も何度も読んで、茨木のり子が案内する韓国の世界に浸る。

7年

 4が7歳になった。

 

 毎年、4の誕生日が近づくと不安な気持ちが強くなってなぜか落ち込んでしまう。

わたし自身、落ち込みのプロであり、いつも何かしらの原因で塞いでいるので、たいていの場合は落ち込みの因果関係がはっきりわかるのだが(だからといって元気にはならない)、この時期は気温が上がって体に力が戻ってくる分、疑心暗鬼や被害妄想もパワーアップしてしまうのが辛い。

 

 幸せなはずの自分の子の誕生日に、なんでこんな気分になるんだろうか。もう、何回も書いているので落語のようで笑っちゃうけれど、幼少期の自分の誕生日に楽しい思い出がないせいだと思う。子どもと比べて、自分がかわいそうになっちゃうんだと思う。

 

 ある年のわたしの誕生日、パーティーで母が出した食べ物が原因で妹がアレルギー発作を起こして、救急車で運ばれたことがあったらしい。わたしは覚えていないのだけれど、母がしつこくしつこく繰り返すので誕生日と聞くと反射的に救急車が浮かんでしまう。そして、ほとんど赤ちゃんみたいな妹が、わたしの好物のせいで呼吸が止まって死にかけたという事実に胸が苦しくなる。

 

 母は子どもの安全を守ってパーティーを行うべきだったし、妹が食べられないものをしっかり見張るべきだった。ただ、どんなに気をつけていても事故は起こるものだし(母の場合は明らかに彼女の怠慢だけど)、起った後はわたしをフォローして欲しかった。間違っても長年にわたってネチネチとほじくり返し、「お前の好きなものを作ったから妹が死にかけた」と責めないで欲しかった。

 

 ここまで書いてみて、ふと気づいた。本当は、母は自分を責めていたのではないか。子どもたちを喜ばせたくて頑張ってみたけど、注意力散漫すぎて事故が起こってしまった。明らかに自分の責任だけれど、それを直視する力を持っていないから、わたしを責めることで発散していたのではないか。自分と娘のわたしの境界線を持っていなかった人なので、わたしを責めたことで自分に罰を与えた気になっていたのではないか。救急車の話題を出すたびに、わたしの胸が痛んだことを、母はわかっていたのだろうか。子どもだからまともに聞いてないように見えて、手応えを感じようと、よりくどくどと言い募ったのだろう。

 

 7年前に4が来てくれて、わたしは命がけで境界の大切さを思い知らされた。それはとても厳しい教えであり、同時に自分を守るすべでもあって、まだまだ完全に理解したとは言い難い。でも、教えてもらわなければどうなっていたかわからない。喜びも苦味もふんだんに与えてくれて、ありがたいと思う。今日も明日もいつもと同じように、大好き大好きと言い続けるしかない。