読むのも書くのも暇な人

考えていることや読んだものについて書いていきます。

聴く

 自分の意見を持つことを禁じられて育ったので、18で家を出てからも「自分の気持ち」というのがよくわからなかった。

 

 物事を決める時は「その時流行っていること」か「優位に立てそうなこと」そして「確実にできそうなこと」を選ぶ。また、強い意見を持つ人に同調したりとか、とにかくいつも辛いからすぐに終わる方法とか、最短で感謝される方法とか、手っ取り早いことばかりに飛びついた。もしくは最初から何もやらないか。

 

 そうやって、自分の気持ちを確認しないまま、0か100か極端なことばかりしてきたので、心がすり減ってきてしまった。それで今、「自分の気持ち」を確かめる練習をしている。自分の体験を観察する。考えや感情を判断せず言葉にしてみるなど。

 

 やっていくうちに、本当は一人で本を読んだり、ゆっくり何かを考えたり、ぼんやりすることが好きだった、競争が嫌いで、やりたいことは自分のタイミングでやりたい子どもだった、ということを思い出した。母はそんな私が気に食わなくて、いつも「早くしろ」「ぼんやりするな」「一人でいるな」「あの子と遊べ」「社交的になれ」「運動好きな活発な子になれ」「負けず嫌いになれ」と正反対の要求をしては怒り続けていた。

 

 もうあの、耳元で怒鳴りまくる母はいないというのに、自分の気持ちを聴こうとするたびに、母のイメージが再現されて、やれやれと思う。母を思い出して吐き気を感じると、好きだった育ての母や、優しかった母の同僚、家庭教師の先生の笑顔を思い出して不快感を追い出し、諦めずに自分の声を聴く。家で、仕事で、あんなに相手の気持ちを探ってきたんだから、絶対できる。

戻る

 今年はどんな年にしたいかを、つらつら考えてみた。浮かんできたのは「戻る」。これまで、自分と相手の境界をみずから乗り越えていた。頼まれてもいないのに勝手に相手のことをやっては、「自分の時間がない」「利用された」と大騒ぎしていたようにも思う。

 

 4と1は自分のこどもなので、まだ衣食住で境界があいまいな部分はある。グラデーションのように彼らの成長に伴って少しずつ濃くしていくしかない。

 

 それ以外の人たちのお世話をこちらからする必要はない。抱え込んでいた責任は放り出して、自分の部屋に戻ろうと思う。それで、自分の機嫌をとったり、自分の本当に好きなことをして力を蓄えるんだ。Self Care is Self Love.